靖国問題について(続き)

 先日、軽微な交通違反を、暇そうなパトカーに見咎められ、言い逃れようとするも、同年代らしい巡査に楽々と言い負かされ、止せば良いのに、泣き言をいい愚痴り、更には大見得まで切って見せたが、当然、全く相手にもされず、結局、その日の内に振り込み、、、今日この時に到るまで、己の腑甲斐無さを嘆いている小市民(以下)が、靖国神社問題云々、明治維新云々等と大言壮語するのは、余りに烏滸がましく、また先人先達に対し恐れ多いことである。が、一言二言。
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靖国問題に、外国が口を挟むのは、内政干渉」だとする主張がある。例えば、「靖国問題」を「教科書検定」に置き換えてみれば(どうだろう? いっそ、「国内(それとも、家族内)のナイーブな問題」としてみれば)分かるように、局所的には言を待たぬ正論であろうが、殊、靖国問題については、既に有効ではない。何故ならば、そもそも、(朝生などのTV討論ショーなどで知る限りだが、)靖国問題は、旧社会党議員らに依って近隣諸国に輸出された国内(外)問題なのだ。かつ、当時の中曽根首相が、それらに呼応した諸外国の抗議に対して配慮した結果、外交上の懸案のひとつになった。
 そもそも、そもそも論というものは、限りなく遡行しうるものだ。時系列に於いて、また、様々な境界線に於いて。・・・・・・・・・。
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「追記」
 靖国神社帝国主義軍国主義の象徴とみなしている人々は、明治維新から始まる近代化の歩みをも帝国主義軍国主義の歩みとみているのではないか。中公新書「徳川思想小史」の一節に

アヘン戦争における中国の敗北が幕末における第一次ショックとするならば、明治の知識人たちは黒船の来航という第二次ショックによって、西欧世界に向かって眼をひらいたのである。日本の国家的独立を保つためには、西欧文化、とくにその軍事技術を受容するほかにない、というのが彼らの認識もしくは直観的認識であった。(P.244)

とある。当時の世界情勢「帝国主義という世界史的状況(P.255)」を考慮しない見方は、得手勝手で情緒的なものでしかない。
(10/23 誤字脱字などを修正。)